天樹院墓所は毛利輝元の墓所で、輝元と夫人および殉死者長井治朗の墓石三基がある。これらの墓は花崗岩製の五輪塔形である。なかでも輝元のものは高さ2.1m、夫人の物は1.8mといずれも大型である。また墓の周囲には玄武岩製の玉垣、鳥居、石灯籠、長さ64mの参道の敷石、唐門などがあり、環境も良好である。ここは以前輝元の隠居所、四本松邸があった所で、彼の死後に天樹院が菩提寺として建てられたが、1869年廃寺となり墓所のみが残った。